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【古舘伊知郎】報道ステーション降板後の現在とは?息子や自宅についても!

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古舘伊知郎さんといえば、日本を代表するトップアナウンサー

プロレスの実況からアナウンサーのキャリアをスタートし、現在も幅広い分野で活躍されています。

そんな古舘伊知郎さんの現在の活動

また、俳優として活動されている息子さんについて調べてみました。

意外と知られていない古舘伊知郎さんについての記事となっておりますので、

是非ご覧ください。

古舘伊知郎の経歴と現在

①経歴について

古館伊知郎さんは、日本を代表するフリーアナウンサーであり、

タレントや司会者として今でも第一線で活躍しています。

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生年月日は1954年12月7日であり、現在は69歳になります。

70歳間近には到底見えないですし、若々しさはまだまだ健在ですね!

古館さんは、東京都北区出身で、「北区立滝野川第二小学校」、「千代田区立今川中学校」、

立教高等学校」、そして「立教大学経済学部経営学科」を卒業しています。

1977年には全国朝日放送にアナウンサーとして入社し、

面接試験で特技である広辞苑の丸暗記を披露したことで採用に至ったようです。

入社後は、「ワールドプロレスリング」担当に配属され、

独特な表現方法である「過激実況」と呼ばれるようになり、人気が急上昇しました。

1984年6月にはテレビ朝日を退社し、大学時代の友人と芸能事務所「古館プロジェクト

を設立してフリーアナウンサーとして活躍しています。

その後も、F1や競輪の実況など数々のテレビ番組に出演し、知名度を上げてきました。

1996年にはNHK紅白歌合戦の司会を担当し、史上初の民放アナウンサー出身

紅白司会者となっています。

1985年には、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」の司会者としても活躍し、

司会者としてのキャリアを一段と高めました。

2004年4月5日からテレビ朝日で放送された「ニュースステーション」の後継番組である

報道ステーション」の初代メインキャスターに就任しました。

そして、長年にわたって勤めていた報道ステーションを2016年3月に降板し、

12年間のメインキャスターという仕事に幕を閉じました。

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メインキャスターを務めていた報道ステーションを降板した理由について、

「普通の言葉で素直なニュース番組を作りたいと、真剣に考えてきた。しかし、

現実は甘くなかった。テレビ局としても、放送する側としても、

誰かを傷つけないようにするために、二重三重の『言葉の損害保険』

をかけなければならない状況になってきた」

と説明しました。

古館さんは、自分が目指していた方針と番組の環境が必ずしも相容れないことを感じ、

「正直申しますと、窮屈になってきました」と述べました。

また、番組を降板する決断は自分自身の意志によるものであり、

圧力によって追い込まれたわけではないとも強調しました。

古館氏がメインキャスターを務めていた報道ステーションは、

彼のコメントや発言が特に注目されるニュース番組でした。

しかし、古舘さん自身も時代の変化によって、

自由に発言することが難しくなってきたと感じていたようです。

特に、コンプライアンスやBPOなどの制度が普及するにつれて、

言葉の表現に対する注意がますます高まってきたため、「言葉の損害保険」

をかける必要が生じてしまったということです。

結局、古館さんは自分が追求していたニュースの本質を追求することができなくなったため、

報道ステーションを降板することに決めたのでした。

②現在の活動について

現在は、以前より露出は少なくなっていますが、テレビ番組では

ゴゴスマ」への出演やラジオCMなど、様々な分野で活躍されています。

最近はYouTubeに力を入れ、定期的に配信を行っているそうです。

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また、「トーキングブルース」という伝説的トークライブでも人気を博しており、

マイク片手に猛烈な勢いで話し続けるスタイルで、「トークでブルースを奏でる」

をコンセプトにしています。

このトークライブは、1988年から2003年までの16年間にわたって開催され、

古舘さんのライフワークともいえるイベントです。1998年には

「第7回スポニチ文化芸術大賞優秀賞」を受賞し、

同年にはニューヨーク公演も行われたそうです。

ひとりしゃべりの最高峰」とも称され、休止期間を挟んで、

2014年に11年ぶりに一夜限りの復活を果たしました。2020年8月には無観客で6年ぶりに開催し、

同年12月には有観客ライブを行い、チケットは即ソールドアウト。

また、2021年には自身初となる全国ツアーを行ったそうです。

そのほか、2019年4月には立教大学経済学部の客員教授に就任されたそうです。

古舘伊知郎の息子

古舘伊知郎さんには、息子さんがおり、高校在学中からバンドを結成し、

デビューすると同時に俳優としても活動しているとのことです。

また、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」にも出演したことがあるそうです。

そんな息子さんの学歴やバンド・俳優活動について、より詳しくご紹介していきます。

①経歴について

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名前:古舘佑太郎(ふるたちゆうたろう)

生年月日:1991年(平成3年)4月5日

身長:167cm

出身地:東京都世田谷区

最終学歴:慶應義塾大学

所属事務所:1994(業務提携:U.F.O.カンパニー)

古舘佑太郎さんの所属事務所は1994年に設立されたU.F.O.カンパニーで、

現在は同社と業務提携を結んでいます。

佑太郎さんは、高校時代に結成したバンド「GOOD4NOTHING」として活動し、

メジャーデビューを果たしています。

また、俳優としても幅広く活躍しており、ドラマや映画などに多数出演しています。

NHK連続テレビ小説「ひよっこ」では、

主人公・ひよこの夫役を演じていたことでも知られています。

佑太郎さんは、音楽活動と俳優業を両立しながら、

自身のキャリアを着実に築いている才能溢れる人物です。

そんな佑太郎さんは、慶應義塾大学の出身です。

彼は私立の最難関大学に入学しましたが、慶應幼稚舎から慶應で学んできたそうです。

エスカレーター式の学校は、一度入学すれば後は楽なイメージがありますが、

早慶大学では高校までの学習内容が非常に難しいといいます。

そのため、内部進学者は大学で非常に優秀だと評判になるようです。

佑太郎さんも、相当な努力をしてきたことでしょう。

大学に入学後は、学業と芸能活動の両立が非常に大変で、1年留年することになりました。

二足のわらじを履くことは非常に難しいですよね。

留年した原因を調べたところ、なんと「体育」の単位(テニス)

を落としたためだったそうです。おそらく、体育科目は出席日数が厳しいため、

多忙な学生にとっては取りこぼしがちな単位かもしれません。

慶應義塾大学を卒業した佑太郎さんは、

これまでに数多くのテレビ番組や舞台に出演してきました。

佑太郎さんの輝かしいキャリアは、

苦労を重ねてきたからこそ成し遂げられたのかもしれませんね。

②バンド活動について

佑太郎さんは、もともと歌がとても上手く、音楽が大好きでした。

中学3年生から高校2年生まで、コピーバンドを組んで音楽活動をしていたそうです。

2008年、高校2年生の時に、同級生の4人とロックバンドを結成しました。

そして2010年、大学1年生の時には、自主制作のインディーズアルバム「C'mon Dresden

をリリースすることができました。

その後、アルバムを順調にリリースしていき、4枚目のアルバム「珍文完聞

メジャーデビューを果たしましたが、現実は厳しいものでした。

あまり売れなかった上に、ファンや周囲からの期待に応えなければいけないという

プレッシャーを感じて、苦しんだと語っています。

しかし、そんな困難を乗り越えた古佑太郎さんは、2015年3月にバンド活動を休止

することになりましたが、音楽から離れることはありませんでした。

しばらくは音楽業界から離れ、自分自身を見つめ直す時間を過ごした後、

2017年5月には新たなバンド「2(ツー)」を結成しました。

そして、これまでに「生と詩」などのアルバムを3枚リリースし、

自身がパーソナリティを務めるラジオ番組古舘佑太郎のパッションフルーツ

も好評を博しています。

2021年には、ソロで弾き語りワンマンライブを開催し、

自身が作詞・作曲した楽曲「愛って」をadieuこと上白石萌歌さんに提供するなど、

ますます多彩な活動を展開しています。音楽に対する情熱と才能を持ち続け、

常に新しいチャレンジをしている佑太郎さんには、今後もますますの活躍が期待されます。

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佑太郎さんは、バンド活動が低調だった時期にソロ活動を始め、

その後俳優業もスタートしました。

俳優デビュー作は2014年に公開された映画「日々ロック」でした。

映画の中で演じた役柄は、自身が経験したことのあるバンドのメンバーを演じるもので、

佑太郎さんにとっては比較的演じやすい役だったようです。

この映画を監督した入江悠さんは、もともと佑太郎さんがファンであり、

原作も好きだったことから、佑太郎さんに俳優業を考えるきっかけを与えたと言えるでしょう。

そして、佑太郎さんはNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」に出演することが決まりました。

朝ドラに出演することは、俳優にとっては大きなチャンスであり、

佑太郎さんにとっても非常に重要な役割でした。

しかしながら、与えられた役柄は佑太郎さんの持ち味とは正反対のタイプであり、

初めての挑戦に向き合うことになりました。

そこで佑太郎さんは、自分自身をさらに知るために、

この壁を乗り越えることを決意したそうです。

新しいことに取り組むことに臆することなく、

前向きな姿勢で努力を続けることは素晴らしいことですよね!

父親である古舘伊知郎さんの存在が大きいため、「親の七光り」

というレッテルを貼られることもあるかもしれません。

しかし、佑太郎さんはそのような否定的な言葉にも耳を貸さず、

自身のポジティブな思考によって、常に前向きに進んでいるのです

古舘伊知郎の年収や自宅は?

①年収について

古舘伊知郎さんの年収が12億円であるというニュースがネット上で大きく取り上げられています。

長年にわたって帯のニュース番組のMCを務め、大御所司会者として名高い古館さんですから、

かなりの年収であろうと話題になっているようです。

報道番組の名物キャスターとして知られる古館さんが、

報道ステーションでどれだけの年収を得ていたのか気になりますね。

彼のようなMC力を持つフリーアナウンサーであれば、

高額なギャラが設定されていると思われます。

関係者によると、報道ステーションでは自由に発言できることが条件の一つであり、

この条件によってオファーを受けたとのことです。

報道ステーションは自らの会社、「丸ごと古館プロジェクト」として、

古館さん自らが番組を制作していたそうです。構成作家や番組スタッフを抱え、

古館さんの年収も含めて、2015年度には30億円以上の契約が結ばれていたとのことです。

この契約があれば、他の番組を降板しても、

報道ステーションだけで頑張ることができるでしょう。

古舘さんの年収について、テレビ朝日の内部情報を入手したジャーナリストによると、

2014年度の年収は12億5千万円強だったという情報があるそうです!

しかし、既に報道ステーションを卒業されているため、

現在の収入が12億を超えているかどうかは分かりません。

現在はバラエティ番組を中心にトーク術を活かして活躍しており、

講演会などでも人気があり、今後も様々な分野から引っ張りだこでしょうね!

②自宅について

古舘さんは以前テレビ番組に出演した際、コーナーの中で

「古舘さんに答えづらい質問をぶつけよう!」という企画で、

「今の家はいくらで買ったか?」と聞かれた際、

「だいぶ前、20年前だったと思いますけど、2億千万円くらいだったんじゃないかな」

と率直に答えました。

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共演者が驚きの声を上げると、「堂々と答えちゃいますよ。だって、

大きい家に住みたいから、こんな仕事を始めたんですから」とニヤリと笑いました。

最近の芸能人は、自分の年収や愛車など、お金に関する質問には謙遜して答える人が多いですが、

ここまで堂々と答えてくれると気持ちがいいですし、夢がありますよね。

また、古舘さんは家賃200万円の高級マンションに住んでいるという噂があります。

自らの意思で報道ステーションを辞め、充電期間も短く、

2カ月後にはトークライブをしていました。そんな古舘さんが帰宅したのは

都内の一軒家ではなく、超高級マンションで、家賃200万円を超える一室だったそうです。

報道ステーション出演時から、自宅とは別に、

テレビ朝日に近い場所に部屋を借りている情報はありました。

帰りが深夜を過ぎることも多く、家族への配慮のために自宅には帰らず、

マンションから通っていたとか。

マンションは自宅から約10キロ離れた場所にあるということです。

200平米を超える広い部屋には、資料部屋や番組上層部との打ち合わせ部屋などがあるそうです。

まとめ

今回は古舘伊知郎さん経歴現在の活動

また、年収自宅のこと、俳優の息子(佑太郎さん)について調べました。

喋ることがとにかく好きな古舘伊知郎さん。

これからも様々な分野で活躍されることでしょう!

今後も古舘伊知郎さんから目が離せませんね!

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